多くの親は子どもにいい人生を送って欲しいと望み、子どもの力を引き出したいと思い、子どもには何かに一生懸命取り組んで欲しいと願い、子どもの力を奪おうとは思っていない。にも関わらず一生懸命、言葉をかけて反対方向に進んでいる親子関係が多くある。この現象はなぜ起こっているのだろう?
コントロールしたいのではなく教えてあげたい
一生懸命言葉をかけている親は、子どもをコントロールしたいのではなく教えてあげたいのではないだろうか?!
教えることとコントロールする事が混同して区別がついていない。
きっとピンとこないでしょうね。
言葉に注目すると気づけますよ^^
教えることとコントロールすることの混同言葉
こんな言葉を言うことはないですか?
ないしは、聞きませんか?
- だって好きなことばっかりしてたらダメじゃないですか!
だから教えないと!! - だって生活習慣は身につけないとダメでしょ!
だから教えないと!! - みんなが好き勝手な事をしたら、教室の中(家庭の中)が無茶苦茶になるじゃないですか!!だから教えないと!
教えることはいい事だ!
愛があるからこそ教えなければ!
いい事を教えているのに言う事を聞かない!?
そのうち↓
褒め方が足りないのかな?
いや、甘すぎるのかな?
もっと厳しくしないといけないのかな?!!
教えることから、その教えを定着させるために、次第にコントロールすることに思考が流れていることにお気付きですか?
そして広く信じられている事があります。
しつけ(名詞)と、しつける(動詞)の混同
こういう話をよく聞きませんか?
「おしゃべりをしている子どもを、教師は放課後、学校に残して指導(しつけ・動詞)した」
「子どもが家庭で、きちんとしつけ(規律・名詞)られていないと、学校でトラブルメーカーになる、だからしっかり教えて(しつけ・動詞)あげてください」
つまり、しつけ(名詞)をする唯一の方法は、大人がしっかりとしつける(動詞)事である。言い換えると↓
子どもをコントロールし、罰を与え、矯正し、体罰を与える事が大事です。(まあ流石に体罰は学校ではないでしょうが、家ではありそうです)と、言っています。
おそらくそんなつもりなく、特に疑問にもならずに上記の言葉は使われています。あらら、、、、。
そして多くは教えを定着させる方法が、甘いか厳しいか(賞と罰)の二者択一になっている。ないしはそれらを駆使する方法がとられています。
まとめ
- 子どもをコントロールしたいのではなく教えてあげたい。
- 教えてあげたいを定着させるためにコントロールが始まる。
- その方法は甘いか厳しいか(賞と罰)の二者択一である。
賞罰についてもお伝えしたいのですがその前に
*教えることとコントロールすることの違い
*しつけ(名詞)と、しつける(動詞)の違いについて、、、次回です。
追記
「知的な討論をしたいのなら、言葉の定義をしてからだ」と聞きます。
この文章に意義のある方もおられるでしょう、その際に言葉の定義のないままでは話が深まりません。そのために言葉の定義をします。


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