軸対話で「どっちが困ってる?」と問うのは、今ここに集中した対話をスタートし対人関係に活かすためですが、よく尋ねられることがあります。
どっちが困っているのか区別をつけると言うことはアドラーの課題分離ですか?と、そうです!と答えにくいので記事にします。
まず「どっちが困ってる?」はトマス・ゴードン博士の問題所有の原則を元にした言葉がけです。
課題分離と問題所有の原則の違い
■アドラーの課題分離の誰が問題かの見分け法として
「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」と考える。
(嫌われる勇気 P141より)
ー今ある問題とその後を含めて相手に焦点を当てて考える
■トマス・ゴードンのだれが問題を所有しているのか?の見分ける方法として、その時のあなたの欲求に注目している
子どもが何かをしていて、その行動があなたが何かの欲求を満たすのを妨げている場合。それはあなたに問題を起こしているのだから、あなたが子どもの行動を受容できない、と考える。問題を所有しているのはあなたである。
しかし子どものほうが、なんらかの欲求不満である場合は。子どもが問題を「所有している」のである。
Teaching Children Selh-Discipline P141より
ー今に焦点を当て相手と私、両方を考えている
違いは、今に焦点を当てているか?!
今ある問題をその後も含めているか?!の違いと
相手のみか私も含めて考えているかの違いがあります。
そもそもなぜこの見分けが必要かというと
他者の問題に介入しないためです。
ゴードン博士の問題所有の原則は、問題を持っている人が最大の解決者であるという考え方です。
これはおそらくゴードン博士の師匠であるカウンセリングの創始者との言われているカール・ロジャースの来談者中心療法からきています。
これは悩みを持っている人の中に答えがあり、最大の解決者であるという考え方です。最大の解決者である他者の問題に容易に踏み込んではいけないということ。
となると、、、、
この点ではアドラーと同じです。
「われわれは『これは誰の課題なのか?』という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです」(P.140)
「およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと ― あるいは自分の課題に踏み込まれること ― によって引き起こされます」(P.140)
課題を分離することは、自己中心的になることではありません。むしろ他者の課題に介入することこそ、自己中心的な発想なのです。 (P.159)
えーーーだったら同じじゃん!
と思うでしょ。
違うのよ。
だってよーーく考えて欲しいのです。
課題分離で日々の対人関係での対応は考えにくい
日常生活、特に子育ての場面、
「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」の考え方で対応の仕方を考えようとすると、ほぼ関わる必要がなくなります。
勉強しない
ゲームばかりする
片付けをしない
食事のマナーが悪い
姿勢が悪い
友達関係が良くない
家事の邪魔をする
先生から育て方が悪いと言われた
言った言わない
聞いた聞いていない
課題分離で日々の対人関係での対応は考えにくい
課題分離は日々の対人関係での対応ではないところで活かせる考え方です。
まとめ
- 課題分離は、今ある問題とその後を含めて相手に焦点を当てて考える
- 問題所有の原則は、今に焦点を当て相手と私、両方を考えている
- 他者の問題に容易に踏み込まないということは共通である
- 課題分離で日々の対人関係での対応は考えにくい
- 軸対話で「どっちが困ってる?」と問うのは、今ここに集中した対話をスタートし対人関係に活かすため
でもね、この課題分離、どこから始まった概念かをご存知ですか?
次回です。
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