課題分離の考え方は、日々その時その時の対応は考えにくいけれど、個人的な心の重荷のいくつかは解消されます。この課題分離、どこから始まった概念かをご存知ですか?
色々調べていると、、、、、
課題分離はアドラーではない?!
「課題の分離」という考え方は、アドラーが生み出したものではないので、アドラー心理学関連の本を読んでも見つかりません。岸見先生の「嫌われる勇気」の中に出てくる「課題の分離」その方法はSMILEで学ぶことができます。。。。という記事を見つけました。
詳しくは↓↓
そして元STEPリーダーをしていたという岩井俊憲氏は下記の文章の中でトマス・ゴードンのことについて書いています。
アドラー心理学ブームについて:課題分離
STEPもSMILEも元はトマス・ゴードンの著書を参考にしていることです。この点はしな軸も同じです。^^
課題分離と問題所有の原則の違いを知ることが大切なのではなく、どちらも言葉の使われ方による勘違いが起こっています。(多くの方と話をしていて以下はあくまでも私の経験です)
課題分離の勘違い
相手の課題に踏み込んではいけないは、サポートしてはいけないまたは
お節介は禁止と捉えられやすく、外国の個人主義とも繋がります。
日本人の親子関係は個人主義になかなかなれず、関わりとして放任なのか見守りなのかの区別がつきにくい、そんな時は課題分離という考え方を取り入れると心の重荷がいくつか解消されます。^^
で、『課題』という捉え方で相手の課題なので関与してはいけないわけではなく実際は共同課題として関わるんですよね。
問題所有の勘違い
問題はあると良くないもの、
取り除くものと思われやすく、
私には問題はないと思いたい傾向に陥りやすい。
『問題』という言葉が問題児とかトラブルの原因と捉えられやすく自分に問題がある人とは思いたくないので問題を考えなくなる。または問題と思ってはいけない。。。にはまりやすい。実際は自分が問題を持つことを許しましょう、と言っている。
両方共に、よく知らないと勘違いが起こるので一言で「どっちが困ってる?かは、アドラーの課題分離と同じですよね」と尋ねられても「はい、そうです!」とは言いにくいですね(^^;
事例で考えると、、、
岸見先生の課題分離の事例では勉強するしないの結果を追うのは子どもの課題だから「勉強しなさい」と言ってはいけない。となっています。うん、分かりやすいですね〜。
確かに「勉強しなさい」と言う命令によって動かそうとする(外部コントロール)ことを人は嫌がります。相手の反発もあるでしょう。
事実は子どもが勉強していない状況がある、として
しなやか自分軸では、、、
自分がイヤだと思ったことをまず認めよう!
課題がどうとか問題がどうとかではなく
今、この状況をイヤだと思った!ならば
なぜ「勉強しなさい」と言いたくなるのだろう?と自分と対話し心を落ち着けてから
- 子どもは本当に勉強したくないのか?
- ひと時の休息をしているだけではないのか?それとも
- 勉強が手につかない心の状態ではないのか?
と、よーく観察して一声かけてもいいですよね。
別に声を無理に掛けなくてもいいですよ。
子どもと関わりたい!声を掛けたいなら、観察してから相手の反発のない言い方にしましょうということです。
まとめ、、、大切なこと
- 人は人からコントロールされるのはイヤだと言うこと(外部コントロールされるのはイヤだ)
- 例えばコントロールできたとして相手の意欲を削ぐことや相手からの不満の思いを受けることを本当に望んでいるのか?!
- 自分自身がなぜ言いたくなったのか!?自分自身を知らない状態でいいのか?!
なので日々自分の心に正直にイヤだと感じたらしっかり感じて
「どっちが困ってる?」と問いかけ、何がイヤなのかをしっかり探るところからスタートする軸対話習慣に変えませんか?!と言う提案ですね^^
でも親はどうして子どもをコントロールしたくなるんでしょうね。
次回です。
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