子どもの個性を伸ばしたい!選手のやる気を引き出したい!そう思って甘やかしてはいけない厳しくしなくては!と思う指導者、指導的立場の人は多く、力の悪影響【14】を知っていても止められないそうです。ところで何が甘やかしで何が厳しくすることなのでしょう?
甘やかしと厳しさ
話を伺うと、、
- 目標に向かうための行動で脱線する
- 間違った行動をする
- やる気をなくす
- 言うことを利かない無視する反抗する
そんな時は厳しく叱責し反省させることが大事!!
間違った行動を容認するのは甘やかし
まだまだこれが常識のようです。
特に体育会系の場合、厳しくされた反発心から、やる気を出すと言う事もあり、上手くいくこともあるので疑う人が少なそうです。また指導的立場の人には愛情深い方が多く、反発心や反抗心からでも行動し結果が出ればいいので自分は恨まれてもいいそうです。
うーーーん。まあ、、、、。
その方法が選手とピッタリ合うといいですね。
なぜ厳しさが大事なのでしょうか?
話を伺うと、、、
伸びる選手は自己管理ができ、自分で考え自分で行動できる人だそうです。なので自己管理ができていない行動をしているのは間違っているから厳しく叱責し正さなければいけない、、と。
この言葉の矛盾に、今まで軸対話を学んで来られた方ならお気づきですね。
初めての方は気づかないかもしれません。
自分に問うてください。
自己管理はなぜできるのか?!
自分で考えるとはどう言うことか?!
自ら行動するとは何か?!
その行動を起こす原動力を目標を持つこと!と思っていると対応を間違います。目標は行き先であり原動力となるエンジンではありません。
自らの原動力が確認できないと人は動けないと言うことをご存知でしょうか?
現状把握と甘やかし
例えば体重調整をしないといけないのに食べちゃった
「ああー食べちゃったー
止められないよーー」
「そう、食べたかったんだね」
と言うと容認すること、甘やかすこと、と思う人がいる。
同意は甘やかして人を認めることと思っている。
軸対話を学んでいる人はこの矛盾にお気付きですね。
初めての方は気づかないかもしれません。
それは
*人から同意をされると自分を認められたと思っている人が多いからです。(同意と共感は違うのですが今の所はご了承ください)
おそらく、承認欲求の低次なものが主流になっているからでしょう。
本来の承認欲求は、人からの同意ではなく自分が自分を把握できる事で承認欲求は満たされる。
聞くは鏡になることで現状把握ができるサポート
「ああー食べちゃったー
止められないよーー」
「そう、食べたかったんだね」
相手の言っていることを鏡のようにそのまま返しています。
「止めたいのにやめられない」
「やめたいと思ってるのに食べてしまって後悔してるんだね」
「そうそう、後悔してる、、、、」
今の心の状態を現状把握しているんです。
何も容認し甘やかしている訳ではありません。
本来、人は自分を確認したいし自分で自分を認めたい
自分自身がどう言う状態なのかが確認できると、
どうしたいか、何を本当は望んでいるのか考えることができます。
と言うか、、、、現状把握ほど厳しいことはないと思いませんか?!
攻撃したとしたら何が起こるのでしょう?
「ああー食べちゃったー
止められないよーー」
「何やってるの!そんなことして!」
「しょうがないでしょ!食べちゃったもん!」
「しょうがないじゃないでしょ、そもそも自覚が足りないのよ!」
「そんなことはわかってる!だからイヤなんよ!ああー腹たつ!!」
心の矢印は攻め立てた人に向かい、自分には一つも向きません。これで本当に自分で考えられる人になるのでしょうか?
怒りの矢印が攻め立てる人に向かうと自分を見つめなくて済みます。
そうやって、、甘やかしたいのでしょうか?
怒られるから食べるのをやめようと思わせたいのでしょうか?
自分のことを考えず人の言うことを利くような人に育てたいのでしょうか?
自分の心を見つめることは辛いことでもありますね。
そんな辛いことをさせてはいけない、、と思っているのでしょうか?!
何が甘やかしで何が厳しさなのでしょう?
しっかり考えてみてくださいね。
そしてこの本は必須でお読みください。
ある意味、軸対話は厳しいのかもしれませんね。
自分を知るって楽しいですけどね^^
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